川山    926.0m     三等三角点     長者

 葉山村と越知町の境にある山。葉山村の北山の一山で、黒森の東3kmほどのところにある。西の方には背の高い風力発電機がつらなって見える。ミナミノカワヤマ、ミナノカワヤマ。地形図

南ノ川山を黒森方向より

 北山の尾根上までくねくねと羊腸の道を走り、さらに黒森の南側を通って展望のよい牧場跡まで車で入ることができた。途中から早くも南川山とそれにいたる尾根が見えている。寒気団がきて、霜柱やツララ、それに牛の水飲み場には厚い氷がはっていた。帰りがけにツエで割って計ってみたら1cm以上あった。
 作業道は10分も行かないうちに終わり山道に入ったが、そこからすでにヤブ化しかけてナタが手ばなせない。そのうち道ははっきりしなくなってさらに拓くのに手間と時間がかかるようになった。ルートも確かでなく、岩や倒木を乗りこえ、左右に避けて、登っていく。とくに足はズボンの上からトゲにやられ引っ掻き傷だらけになった。顔もたまにしばかれるので、サングラスはかかせない。2時間後、頂上についたが、ほとんど真上に立っていたのに三角点がどこにあるのかわからずさがしていたら、脇にいた妻が先にみつけた。広葉樹の葉や杉の葉などの芥が上にのって、頭の表面をわずかしかのぞかせていなかったのだ。写真をとってから近くの日の当たる岩の上に移動し、足をぶらぶらさせながら昼食。風もなかったけれど、そのうちやっぱり寒くなった。山も黄砂でけぶっている。
 下山して、「風の里公園」にまわる。20基の巨大な風力発電機群は圧巻である。羽根の前で写真をとって、国道まで下り、葉山村(現津野町)役場前の、カワウソ公園の上の「春日山」三等点153.5mに行くことにした。橋を渡りグランドの西端に車をとめて、その横の石段を上りはじめたのは3時半。すぐにお堂があり、その奥の草の斜面を直登していると遊歩道に出、その道は頂上までつづいた。二つ置かれたベンチの奥に三角点はある。手前のコンクリ台の上になにか古い灯火器具のようなものが見えていた。「電動発音機」と旧漢字で刻印されたプレートがとめられてある。それは、戦後(あるいは戦前、戦中から)使われていたサイレンのようであった。

 
「山の中で人は蟻のようになる。大木の幹は蟻が登ってもじっとしているように、山は人が登ることによって表情をかえない。
 山の赤い肌は、太古からその色をしていたように私たちの前にある。人は山で小さなものになり始める。儚いものになり始める。
 広い高原を黙って歩いて行く時、人は牛のようにもなる。私たちは蟻のようになり、牛のようになって大きな解放を知る。
 このものやわらかな興奮をもう一度味うために、山へ向かう。」   

串田孫一『若き日の山』 夏の手帳より 


  串田孫一(19152005)。登山家にして詩人であり、随筆家であった。戦前から戦後にかけて登った山々について、彼は60以上の著作の中でそれらを文学にまで昇華させようと意図した。そこがそれまでの登山家と彼が一線を画している部分であろう。『若き日の山』は39歳のときに彼が出した処女作ともいえる力作である。


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